りすぺくつしたい

歴史とか自分のルーツとか。ちょっと考えてみたい、少し阿呆な奴が生息しておりまする。

影を慕いて。(ついでに大谷形部さんやら網野善彦さんやら)

まぁぼろぉしのぉ~
かぁげをぉ~ したぁいぃてぇ~♪





... Σ(o゚Д゚ノ)ノ ハッ





(何かモニターの裏でドタバタやってる気配。
  ※※  暫く御待ちください...。 ※※  )




...。
コホン。


えぇと、皆様こんにちは。
他所のブログ(特に若人向けジャンル)でだったら


「ご自身の読者登録数とnice の獲得数があれだけある方々。
しかもそれでいて、この過疎っプリな僕のブログにワザワザ足跡を残されている方々。」


はい。あそことかあちらとかだったら。


間違いなく




「商業目的の勧誘nice」





です。


今では定型文すら設定されていて、ボタン一個で気軽に


「あなたのこの記事面白いですね❗
仲良くして下さい♪大好き☆ミ」


的なメッセージまで送れちゃう大手さんすら有ります。


彼方では誰かが足跡を残してくれたからといって、
馬鹿正直に喜んで、御返しに向こうへ遊びに行って


「nice ありがとうございました♪」


とかやると、結構恥ずかしいことになるのが、まぁ常識であったりします。


なーのーで。
地域タグかカテゴリータグで上がって来た新着記事をチェックしていらして


「おっ、うちのジャンルに掠りそうなのがあるぞ。


むむっ、全く無名の別ジャンル系統。しかも新人か...。


(暫し黙考)


よっしゃ、胸貸したるわ。おっちゃんがnice つけたろ。
ウンウン、よかちゃいよかちゃい。気張りやー。」


...多分、こういうノリでいらっしゃるんじゃないかと。
(あっちゃこっちゃの方言ごちゃ混ぜですいません←笑)


いあいあ、勿論嬉しいですって❗
何方かが読んで下さっている、読者を沢山お持ちの方に御自身の印を付けて頂く。
すると、付けてもらった方はどう考えるか。


「嗚呼、このジャンルの方の読者さんがもしかしたらいらっしゃるかもしれないな。
だとしたら、その方にも僕のジャンルで関係が有りそうなことを書いてみようかな。


うぅん、少なくとも、来てくれた人が嫌な気持ちにならないように


最低限のマナーを守っていかなくちゃなぁ」


ってなります。
じゃあマナーとは何ぞや。


これ、実は結構難しいですよね。
今ではスマートフォンに「マナーモード」が存在すること。


知らないでブログやらを書いたり読んだりしている方が少数派ですよね?
ですが、僕が続けていたブログ、僕が投稿していた時代においては。


最初の唄の歌詞が判る世代の方で「マナーモード」とは何かを知っている方。


よぉっぽど人付き合いが良くって、面倒見が良い人格者でない限り。






「へんなおじさん」




扱いでした。
(すみませぬ...(´-ω-`)←沖縄のかの愛すべき民謡、「ハイサイおじさん」のメロディーを
志村けんさんがおちょくり続けたモンで、このフレーズは原典よりも此方が今や有名かもですww)


等と、阿呆な話は置きまして。


僕が言いたいのは、マナーであるとか、モラルであるとか、公共性において言い換えたら、とか。
要するに


「何が相手に失礼になるか。
現在この場において、自分が何をやったら誰に迷惑をかけてしまうのか。」


この基準は、常に更新、アップデートしていかないといけない。
誰かに教えてもらおうと受け身でもいけない。


あっちこっちで迷惑をかけて自分もおおいに恥をかいて
時には勿論お金を払ったり、自分の個人情報だって開示する(お相手に晒す)。


当たり前のことなんだけれど、このスタイルを持っていない限り、最低限の信用は得られません。
最低限の信用から得られる情報も(ネット上オフライン問わず)得られません。


得られるぞ❗言う人を僕は信用出来ません。




さてさて。
時代は戦国、難病持ちで、しかも当時ではほぼ死病扱いの伝染病者だったという、「噂」で有名な人気武将さんだっていらっしゃいますのでするよ。
うぅん、御存知の方(notゲーマーさんで)いらっしゃいます?


花柳病(梅毒)説、ハンセン病(旧日本語表記ライ病。現在では差別用語です。僕は「ハンセン氏病」で習った世代)説、その他諸々、
とにかく事実だったら、閉じ込められるのが当時の常識。


つうかもう、生かして貰えてラッキーレベルです。
本来ならば死ぬまで座敷牢から出してもらえなかったであろう筈の病気持ち(であったかもしれない)方。


まぁ、普通に考えたら
「生きて、その辺を歩き回って貰わない方が、よっぽど困る程の何かをお持ちな御方」
だったのでは?って感じちゃいますよねぇ。


彼にまつわるエピソードがWikipediaで簡単に検索さえ出来てしまう方。
彼への偏見を衆人環視の中、身を挺し否定して見せた、とある人物の美しい逸話、そちらが一番有名かも。


更にはこの頃の、まだまだ医学知識の覚束ない時代。
偏見と闘ったという伝説の人物。


実際は誰だったか?


これ、若き日本近代史を愛する方の間で、結構な議論になる様子。


自分の贔屓している誰々こそ、その方だったんだ、とか。
逆に、自分が嫌いな誰それなのはヤダから、何とか別の誰かを探してきて当てはめようとしてみたり。


もう、大人気ですよこの方。


物凄い御病気持ちと知れ渡っていて
最期は無精の草鞋とさえ言われる馬に乗れぬ程の(!!)身体を押して友を助け戦場へ赴きます。


そこから生まれ育まれたのか。
友情に殉じた、義の武将。それが、この人物の大方のイメージなようで。



歴史に興味がない方でも「関ヶ原の戦」という単語は、御存知でしょうか?




何だか、天下分け目とか唄ってるの、小説とかで良くあるけど、
実はものっそいあぁ~っさぁり終わっちゃったんでしょぉ?


誰かが怪我したり死ぬ暇も無かったんじゃないの?
つーかさぁ、もう世の中の次のエライ人が誰とか、もう皆分かってたんじゃないの?
え、まだ分かって無かったの?ダッサ❗そんなだから負け犬になったんじゃないのカッコ悪⭐


まぁ、どーでも良いけどさぁ...(笑)
皆日本中からワザワザ集まってご苦労様だったよねぇ❗プププw







これ位のことを僕に言える方。
先月までの僕の周囲に関して言えば、


「おぉ、おじょーちゃん凄いなぁ❗
頑張って勉強してくれてるねぇ頭ワシワシ(←実際にやってはいけません。犯罪です)」


くらいなレベルでしょうか。


自分の国のとある混沌の時代。
それがひとまずの区切りを迎えたらしき、関ヶ原の戦い。


今ではこの区切りにも疑問点が在るとか。


でも、こんなこと誰も気にしないでしょう。
知ったって、何の役にも立たないですし。
誰からも評価されない。


誉められないことを若い内にやる人、居ないでしょう。
居たら速攻痛い奴呼ばわりですし。


まぁ、何でだかヨーロッパ近代に詳しいとインテリで(美術品のウンチクも有れば尚よし)日本アジアその他はオタクの分野。
アフリカやら中東辺りは完全に変態さん扱いw。
南アメリカなんかはスペインポルトガルに支配された功績が在るので好いてもよろしい。
そんなもんです。



さてさて、話は戦国時代に戻りまして。
計算打算見栄コネ意地渦巻き絡まりあう、まさに絵巻物のような関ヶ原において。


「羲」を通し、死なずに済んだ筈の部下達を総動員して抵抗し、自らも死を選んだとされる、悲劇の名将。


敵も味方も多くの武将達が


「この戦がどう転んでも、お互いの上の奴がコイツだけは生かしとくだろ。
だってコイツいなかったら、先々困るだろ俺等」


と思っていた(らしい)有意の人にして人格者。




大谷吉継(刑部)殿。




優秀だけれど、優秀過ぎて孤立していった(とされる)石田三成さんを最期まで見棄てなかった方。


ハンセン病であったか、梅毒だったかその他、或いは全く健康な方であったか。
現時点の僕は何も断定できません。


そういう伝承のある方が戦国時代にいらっしゃったらしい。
僕のご先祖の主君を滅ぼし、家名だけは遺して傀儡にし、挙げ句は自分の息子の為にまた滅ぼしてくれた・・・らしき男。


はい。アニキこと長宗我部(長曽我部)元親公。


其奴も関ヶ原にて、(息子が)大谷殿に関わっていたらしいです。
大谷殿が直で絡んでたか分かりませんが、四国側の通説では彼の親友である石田三成さん。


石田三成さんが設けていた関所に、使者だか間者だかが引っ掛かっちゃって、徳川家康まで密書が届かなかった。


で、この時タッチの差で関所を抜けられた、優秀な配下を持っていた四国の別の大名。
彼等は無事
徳川方につき、幕末まで(アチャコチャ異動はあったにしろ)家名は保たれていった。


というのが僕の知る「通説」です。
(現在では自ら豊臣に参じた説も有力)


何しろいっちゃん大きくなったところがジワジワ、最後は丸々滅ぼされちゃった。
後から来た他所の殿様が治めた時代の方が、ずぅっと長い。


支配された方の本音は勿論、公式な記録が殆どない訳です。


支配する側だって都合良く自分達をかっこいいと後世に思わせたい。
支配される側にしてみれば、「仮に」どんなに良くしてもらっても、相手は余所者なワケで。


まともな情報が残る方が稀...というか、特殊かもしれません。



で。
何が言いたいのか、と申しますとヤッパリBASARAへ戻りまして(こいつは何処をどうしても此処に還ってきやがります)


歴史を好き勝手無視していると定評のカプコンさん。
特に良くお叱りを受けるシリーズの3。
アニキこと四国勢が親友(江戸幕府開祖とマブダチの設定。アニキスゴいw)徳川家康に騙し討ちされたという偽情報が前提に物語は進んでいくのですが。


このシナリオを組んで全てを転がす黒幕の独りが...




何と大谷さんなんですよ~~!!!





(ヾ(≧∀≦*)ノ〃)←最早脳内はこういう状態




いやー、此処まで愛される逸話がモデルの方に関われる。
これはスゴい❗






それでゲームの方です。


アニキはトコトンお馬鹿さんなので、
家康くんを(大変嬉しいことに...ゲフンゲフン)問答無用で殺せちゃう訳です❗
家康くんも男前さんなので、文句一つたれずに討たれてくれます!!やったぁ



(↑この一言で、りすぺくつは多くのBASARA好きーさんのリスペクトを失いました)



流石は東照権現さま。徳川で唯一、神として祀られている御方。


良く判っていらっしゃる!!(強く頷き)


小学校六年生の修学旅行で日光東照宮、お参りしといて良かった。


いや、マジなマジに、本当ぉ、良かったぁ!!!



うんうん、僕も史実の君ですら愛しくなってきたよ♪(←物凄い上から目線) 







はい。こういう奴の痛いブログに、皆さんniceされてるわけなんですよ(爆死)
お覚悟を以て押されませぃ。(出来ればお逃げなさいませぃ←本気)







✳     ✳      ✳     ✳



そんな中で、チョコチョコお話集めしているんですけど。
「農業」関連でちょろっと面白そうな?お話を見付けました。


土佐と言えば「検地」の資料がゴッソリ残ってるので有名なんだそうで。


稲作が入ってきて、お米を基準に経済を回して政治をおさめていこう。
これが律令制度の始まりとされています。


それまで無かった作物である稲を中心に政治権力を中央(大和朝廷)に集めてやってくと決めた訳ですよね。


それから色々あって荘園が出来ちゃって貴族が出て来て...中央の力は衰えていく。
貴族も武士に取って替わられる。幕府が開かれる。
鎌倉、室町、そして応仁の乱。


戦国時代。


この頃をバブル世代では


「虐められるのはいつも可哀想なお百姓さん達。彼等の苦難の時代」


的に教わってます。



豊臣秀吉が刀狩りを命じて民から武力を奪い、検地を諸大名に行わせて米の収穫について徹底的に調べ上げ管理した。


偏差値最重視、詰め込み教育全盛期。
こういう風に覚えて流しちゃった方、多いのでは。



何を隠そう、僕がそうです(笑)


で、結構誤魔化しも出来たこの報告書。
長宗我部氏の頃の土佐では、メッチャクチャしっかり検地を行った資料がワンサカ在るらしく。


他の大名がこっそり灰色にした(受けとる側も黙認した)ようなとこまで、
徹底的に測って書き残している。支配されるかわが、しかも自分の費用と手弁当で。


馬鹿正直にも程が有るでしょ?


こういったところから、どーも


「長宗我部は四国攻めの後は秀吉の犬に成り下がったカス大名」


と、後々創作されていったようです。
太閤殿下直々に餅だか饅頭だか頂いて、たった1個のそれを


「皆で分けまする」


とか言ってワライモノになったエピソードなんかは結構知ってらっしゃる若い方も。
何かsageられる(貶される)逸話ばっか有名ッポイですねぇ、
アニキw



あ、延々失礼しました。
で、僕が読んだ四国研究の学者さんのお話。



長宗我部の遺した検地帳は不可解な点が多い」



何じゃそりゃ。


だってそうでしょう。
全国でも珍しく、百冊単位で残っている一次史料。


偽物じゃないらしい。それはハッキリしている。


「でも不可解」



何じゃそりゃあ❗(×2)



ここからは具体的な測量の知識が無い僕は付いていけないんですが、
学者さんのお話を噛み砕いて僕なりに纏めるこうなります。



最終的な計算方法に...何ぞ手が加えられているのでは?



「石高」計算の筈なのにいつの間にか「土地高」計算に擦り変わっているらしい?とか。
なのに、測量の人員から道具から、他の藩の同じよう検地帳からは有り得ない程こと細かく記されているとか。
動員された人数、使用された測量道具の種類、数。


ダントツで段違いで、ブッチギリに多い。


自分は滅んじゃったくせに、そういうのは何でだかシッカリ残っている。


そう。
記載された土地に住む人間が、その記録通りの年貢を納めれば活かしてもらえる。
その事実だけを遺して、消えた大名


しかも、例に挙げられた土地。
摂れるのはお米じゃないんです。
農作物ですらない。


塩。


塩田なんです。
長宗我部の最後ら辺で一生懸命作って、これでもか、って記録を遺した様子。


自分達の子孫へ「俺達こんなに頑張ったぞぅ」というおらが自慢話ではない。
時の権力者へお見せする為にこそ、やっていた。


何だか、ミステリー小説でも読んでるみたいですね。


そして四国全体は平野も在るけれど、多くは山地。
僕のお袋さまの故郷だって、田んぼで米もやるけれど、所詮は棚田。


江戸時代まで遡れる主力はお茶やら紙やら。後は、林業。


能登半島辺りでは昭和の頃から研究が始まっていたそうですが
「米の摂れ高」では説明がつかない経済の形態が明らかにされています。


八公二民とか、九公一民とかの税率だったそうで。


因みに僕が中学の頃習った時は


「五公五民でお百姓さんはカツカツだった。
六公四民まで絞られたら村中皆殺し覚悟で一揆を企てた」


みたいに教わってます。


おいおい、90%までお上に取られたら生きていけませんがな。
もうこれ、奴隷状態ですよね?


長らくそう思われてきたんですけれど、
いざ学者さん達が入っていって調べると、どうも違うらしい。


「水呑み百姓」扱いの方々、どうもお金持ちだったッポイ。


というか、自分で大きなお船を何隻も持ってらして、ブイブイ交易さえなさってた。


でも、脱税なんかせず、キッチシ九割(もしかしたらもっと)税を納めていなさった。



米=貨幣通貨。な時代の文書トリックです。




耕作する土地が無いんだから、表記は皆「水呑百姓」になる人達。


けれど、山々から材木を伐り出してはそれで儲ける。
船を造る。また材木を伐ってきて、海産物なんかも載っけて他所へ運んでいく。
船だから人だって乗り降りするわけです。


水だけ飲んでた貧しい奴隷どころではない。
下手をしたら、アイヌを介して当時の大陸(現在のロシア)とさえ交流が有ったかもしれないのでは?


アチコチで、そういったことを明らかにしようと、研究が進んでいます。
瀬戸内海、九州の南部。その他色々。




これ、きっと僕が生きている間には分かんないんでしょうねぇ。


史実でアニキのモデルとなった人物。
長宗我部元親公。


わざとらしい程に残存する「大量の検地帳」、「たった一個の菓子ですら押し頂いて」見せた理由。
姫和子(軟弱者)扱いだったのに、ある日突然活躍して(それも今まで馬鹿にしていた家臣の真ん前で)見せて
一転、出来人と呼ばれた人。


彼の擁していた陸の兵力、一領具足はどうも創作だったッポイ。
ならば、太閤殿下に従って後に、他の所からの記述がある水軍はどういうものか。


これも良く判らない。ハッキリしない。
まぁ、異国から見た軍事組織がホイホイ分かりようが無いんですが
(他国に把握されてたら、そもそも軍として用を為しませんよね)


取り敢えず、何かメッチャクチャ速かった...らしい。


(最速で他所の軍船と八時間差を付けて目的地に着いてる可能性が。
ガセじゃないのかよ?

まさかスクリューエンジンでも付いてたんじゃないんだろうな...)


うーん、謎です。日本不思議ミステリー。
もしも解っちゃったら、
「日本列島農業不要説」
なんて怪説奇説、誰かが出しちゃいそうですよね。




けれど、残念ながら僕の一番知りたい方面。


九州の上っ側。佐賀藩のことも又、とても史料が少ない様子。
何でお隣に
黒田藩なんて有名なところが在って、
石高も文化面でも明らかにあちらが上。


なのに、何故、幕末薩摩長州の同盟の折、佐賀藩は仲間に誘ってもらえたのか。
全てにおいて秀でていたと、佐賀の人間だって認めているお隣、黒田(博多)藩ではなかったのか。



何故、何故如水殿のおわした博多ではなかったのか?!?!(←昨日抜けてた最重要の一文。よって書き直しておりまする)



そして、ついでに言えば、何故土佐藩もそこに名が連なっているのか。


佐賀(肥前)も土佐も、昭和の頃に書かれた小説なんかだと、



「スッゴいスッゴイ貧乏だった。でも漢籍をコッソリ読んで努力した。
なので、徳川がダメダメになった時、ミラクルが起きて皆活躍したんだゾ♪」


どうもこういうノリが主流らしいです。



えぇっと。
まぁ、努力認めてくれてありがとうございます。
けれど



そもそも鎖国していたのがこれ等のお話の大前提。


ならば、
その漢籍(洋書ですよね、思いっきり)...何処から手に入れたんですか皆さん?
貧乏人なんですよね?そんな輩が、何のコネもなく、どーやって?


というか作家の皆さん。
貴殿方の描かれている世界、其処此処に


明らかに換金出来るような物品、茶やら紙やらその他諸々。
作中に ゴロッゴロしてんのは何でですか?






いや、創作ですから。「つみがない」絵空事ですから。
文章と言っても、所詮は大衆のもの。史料ではない、あくまでも「小説」だし。


今でこそ


「物書き=ステータス。何かカッコいい❇」


的な認知度ですが。


戦前の方々、特に僕の爺さま世代では
幾ら有名となろうとも、どれ程の人々に親しまれようとも


「小説家=大衆にに媚を売る鉛筆乞食」


だったのではないでしょうか。


実際、この世代の女流作家さん、そう述懐なさってますし。


そういう認識でいたジャンル。
良識ある方々ならば、誰も真面目に受け止めない...書籍という認識すらされていたのか。




そういった作品が、後々読まれていくようになり、
ある意味では権威とさえなってしまった時。



爺さま達の世代はどうなさったんでしょうかね。
ふざけるなと怒ったか、或いは馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ったか。


校長先生であった僕の爺さまは、沈黙を選ばれたようですが。







彼等の歴史をモチーフにした(一部の)作品が有名になって、
活字離れの激しかった若い子が一生懸命読んでいた頃。
つまり、バブルに沸き返っていた僕らの世代。


本来の文学の場である純文学は、(僕を含め)若いのにそっぽを向かれていました。


とにかく、面白くなかったんですよ。
大正明治、それ以前の作品の方が、断然に読み応えが在ったんです。


中学の夏休み研究で


「日本の文学作品を何か一冊読んでレポートにしなさい。
出来たら廊下に張り出します。(裏に評価を記載したままで)」


平成もあと僅かの現代でコレをやったら大騒ぎになるんですがw
勿論、僕等はやりました。総受験世代でしたから。
相対評価。一番はヒトリダケ。誰かが必ずビリで負け犬になるシステム。


これが、バブル世代の受けた教育評価方法です。



...なんて脱線はともかく。
戦後昭和の作家を選んだ生徒。
全校に張り出された中で何人居たのかなぁ...。


因みに、僕は太宰治でしたw


赤ペンのアルファベットが付いた裏っ側をピラピラされながら(本当に平成も以下略)


「誰に手伝ってもらったの?」


と気の強そうなおにゃの子達から凄まれたりとか。
僕は僕で


「やったぁ、
クラスの有名人◎◎さんから話しかけられちゃったぁ♪♪」


なんて、それから一週間くらいウキウキしてたり。



.はい。
今思い出すと、とても...、
とても、その。
何処かの何かが痛いんですよねぇ(あれおかしいな、眼からヨダレが...。)


✳    ✳    ✳     ✳



此処まで読んで下さった方、ありがとうございました。
僕のブログにnice を付けて下さった先輩に関わりそうなこと、一通り詰め込んでみましたw


どんなことでも、何方の御好きなことでも、自分の好きな分野に引き摺り込んで語りたがる。
土佐のいごっそう(決して褒め言葉ではありませぬ。寧ろ全国最高の離婚率を高知がますます更新させる為の、不要な原動力)という奴かもしれません。
お粗末(ペコリ)

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