菜々さんの旦那とは。
お袋さまを菜々さんとお呼びするんだから。
その連れ合いさんも、やっぱり何か愛称を持って頂くというのはどうだろう。
皆さま今晩は。
最早何のカテゴリーだか誰にも解らないブログにようこそ。
(書き手からして地図なき旅路に迷走中)
親父さまの出身地から言えば、Armstrong砲な鍋島のあのお殿様なんだけれど。
9はデカすぎ言われているけれど、6位ならば認められているッポイし?
親父さまも、あの方の政治的手腕やら教育者としての姿勢は認めていらっしゃるんだけれど。
御主君を蹴落とした簒奪者が何よりかにより大嫌いなお人だったりするんで。
うぅ~っかり『直政さま』とかお呼びしてしまったら。
めったくそに面倒くさいことになってしまうんである。
んじゃあ素直に竜造寺家の何方かを当て嵌めればいいかというと、そうでもなくて。
「いちパンピーが殿様の血筋だ言い張るだと?
ケッ」
こーいうのを「佐賀んもん」と呼ぶようですが、全国的にはいかがなもんでしょうか。
と~に~か~く、権力やら名声やらに「よらば大樹のなんちゃら」する方々が大嫌い。
お隣の、豊かでおおらかな博多藩の「黒田節」なんかが流れてくる中。
「さかえ(栄=佐賀えだという伝承がありまする)の名の下では、
歌舞音曲、一切禁止。集会も禁止。買い食い夜遊びその他もろもろ。
とにかくぜ~んぶ、慎みなさい。
貯えて蓄えて、子々孫々を教育為さい」
という、何だか緑色な方が遺された家訓のようなモノで、皆さん清貧を(赤貧をも)旨となさっておったので。
うぅ~っかり雅なお話が出来ないんである。
幾ら葉隠れなんかで頑張っていたって、精神論だけでは。
植民地主義が席巻していたあの、残酷な時代。
必要とされる人材を供出出来た筈は無いんだがなぁ。
とかいう話を振ってみても。
「隣には黒田が居った。
その反対の天領(出島を筆頭に色々在ったらしい)を黒田と交互に護っとった。
(↑護らされた、とは言わない。意地っ張りさんである)
貧しかったんじゃ。懐も、心も、品性も」
…。
どうも、これが佐賀んもんの精神構造「自虐癖→明日に向かって臥薪嘗胆」フォーマットであるようで。
褒めても貶しても放っといても喜ばれないという。
誠にどうにもこうにも面倒くさい方なんである。
(ここ、笑って頂けると大変に書き手がホッコリ致します。
本日は気候温暖でしたが別のところも暖まりたいので…涙)
大体が、このお方のご先祖からしてトリッキーなんである。
4から参戦された、「日本号」をお持ちで無い方の又兵衛さん並みにイロモノ。
だって…
佐賀んもんが、
文明開化の真っただ中に、
板垣退助(土佐藩出身の大物さん)の書生やってたって、
どんだけ時勢を読んでないんですかッっ!?!?!
聞いたときは何のギャグかって大爆笑しちゃったんだもの。
書生さん。
文豪の元で修行中のお手伝いみたいなイメージもありますが、
親父さまのご先祖の場合は、
完ッ全な、
私設秘書であったようでする。
要するに『政治家の卵』さん。
薩長土肥のうち、いっちゃん割を食った肥前(佐賀)の漢が、
よりにもよって土佐の「上士」に附いて政治のお勉強をさせて頂く。
しかも、周りはみぃんな土佐の生え抜きだらけの中で、寝食を共に生きる。働く。
何考えてん~なマゾい真似を、
って。
…。
はい。
笑えた方。
僕は孤独ではなかったようですね…。
そんな訳で、親父さまへの愛称募集中でする。
(するな)
「ねぇ親父さま」
「ん?」
何か顔色悪いなぁ。
昨日から晩酌控えてるし。
目の前で呑まれない日こそ、ヤキモキするようになっちゃうなんて、
「原稿…あれから進んでなさるんかい?」
※※例のノートPCは何とか生き延びましてございます※※
「嗚呼、18頁ほどだが。ちぃっとまとまらん」
『たった』18頁とか十年前なら笑ってたんだけどなぁ。
ちょっと頭の中で計算してみた。
この人の一頁が、大体1200字くらいだとして。
この間頼まれたとして、大体ひと月の猶予として。
「下衆いお話になりますが、親父さま」
「お前がお上品であった日。
いちにちたりと在ったか、俺には覚えがないな」
「ならば遠慮なく下衆りましょう。
ちぃっとばかり、質問なぞよろしいおすか?」
「うむ。よかろうもん」
「親父さま、その原稿料、どんくらい?」
僕が、もし手っ取り早く何処ぞへ鉛筆乞食の広告を出したとして。
う~ん。
『何でもかんでも、お好きなだけお望みのまんまに奉仕させて頂きます。
つきましては、2000字ばかり書きまくらせて下さいませ♪♪』
とか営業して回ったとして。
「500円下されば結構です」
と投げ売りして見せたとして。
う~ん。
先ず、よっぽと上手く売り込まないと初染めは無理だろうなぁ。
で。
親父さまのお答えである。
「うっそおん」
「こんなことで吹かしてどうする。
ばかもんが」
「下に吹かす、って確かにあんまり居ないよね」
「だろうもん(青梗菜まりまり)」
「マジで、そんなモンっすか」
「マジのマジでそんなもんだ」
うっわぁ。
引退したい爺に向こうから書いてくれ言ってきといて。
「便利に遣い倒されてますなぁ」
「まぁな」
そして、この親父さまが漬物石にしてくれてた土佐の爺さまの郷土史。
更にさらにどマイナーな逸品なんである。
(一見とんでもなく鬼畜な所業だが。
↑この二人、実は散々土肥(と書いてとうざいと読む)冷戦してきたのだ。
Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.
「本を漬物石になさるんなら、(自分も含めて)人をも漬物石になさるんかい?」
とかハイネさんが怒り狂われるかもしれんのだが。
コレ、この方なりの…非っ常~、に。分かりにくいデレなんである。いやホント)
親父さまが、にやりとする。
「書くの、嫌になったか?」
かっちぃーーん。
ふふふ、上等じゃないですか。
「金だけ欲しいんなら、お二人がくたばった後になんぼでやりようはありますがな」
「そうか。(ぬか漬けまりまり)」
「あんた等のクロスブリードなんだから、精々底辺はいずり回りますわ」
「そうか。」
素面でにやつく親父さまは、ちょっと凶悪面である。
犯罪者の烙印を押されたという江藤新平サン。
もしかしたらこんな似顔絵が本州辺りで出回ってたかもしれない。
まぁ、それはともかく。
19年でも。40年でも。
漬物石、上等。