りすぺくつしたい

歴史とか自分のルーツとか。ちょっと考えてみたい、少し阿呆な奴が生息しておりまする。

僕とヤン提督たち。

※   ※   相っ変わらず表記ジャンル滅茶苦茶です   ※   ※












歴史好きでも「戦国時代オンリーはおにゃのこに媚びるカス漢」と呼ばれた世代。



うぅーっかり土佐七雄の名前のどれかが言えたりしたら変態さんだった。



皆、漢の子はガンダムとサッカー、その上のお兄ちゃん達はお父さんと仲が良ければプロレス、みたいな土地勘、時代背景。


では松本零士推しだけれど声優ファンじゃあなくて、ヤマトも「あれが漢の船だ」というじっちゃんの台詞をうろ覚えしている程度であって、デスラー総統(とある女性作家さんの作品で、彼が「いい声してる」と評されているのを初めて知ったり)の側近の名前から第二次世界大戦へ入っていった奴で、でも田中芳樹さんは徳間書店の方の銀英伝を毎日一冊ずつ塾の帰りに買っていて、とある巻は途中から真っ白で(いわゆる乱丁・落丁本。一部の一部なファンにはプレミアだったりゴミでしかなかったり。どうにもナマモノらしいですね。)本店まで帰ってから取り換えてもらって、ワクワクしながらその後を読んでみたら…




「提督―――!?!?!?」





と絶叫した夜。(やっぱり緑色ですよね、ここは。地球教団は宗教団体なんかじゃない。ただのテロリストだった。)


高校受験の当日、全てから解き放たれた夜でした。


一日ズレてたら、答案用紙真っ白だったかも。
皆殺しの田中さんを自認されるだけのことはおありでしたねぇw






こんなどうにもこうにも中途半端な僕を、受け入れてくれた人達がいた。


「点描打てる奴いるかー?」と声を掛けられた時
「え、何それ。やってみたい」と興味を示したのが始まり。


ただ、ひたすら点々を打ってお喋りを聞いていればよいので楽ちんで、その間自分のやりたいことのネタを考えたりメモしても怒られないし、ヘッタくそだったに違いないのに大変ありがたがられて、ついでにどうすればもっと綺麗な点々になるかまで無料で教えてくれたりして、天国のように贅沢な環境だったんだなぁ、と思う。



今は映像の時代なんだから、とにかく紙は見てもらわねばダメ→聖伝のCLAMP派


スクリーントーンやら印刷栄えを研究してた…のかな?
何かあっちゃこっちゃの情報が凄かった。十分の一も解らんかったけど。




視覚の時代なんだからこそ、後々残る紙媒体は誠実でないと→写実派。


肉筆回覧誌派。(←確か、こう呼んでたと思う。印刷しない、手書きが前提)
部数を稼げないけれど、代わりに印刷代が要らないので、残りのお金は全部資料代に回せる利点が。



彼等は大体こんな感じの分類で、しかも僕はどっちにも属してないんだけれど、部室を使
っても怒られない立場であって。



「熱いぜ…。」


と熱弁を奮う彼等、彼女等の端っこで点々を打たせてもらいながら


「何でグ●スランナー(ホ●ット)って神殿に行っちゃダメなんかなぁ…。
ありゃ、行ってもいいけど、神様のお声が聞こえない、んだったっけ?


どっちにしろ、日本人の宗教観念とちぃっとズレてないか?


神仏って、んなに了見狭くないと思うんだけどなぁ...。」


とか、スティーブ・ジャクソンのゲームブック(当時では既に扱っている書店さんがレアになっていた)やら超人ロックやら(後はスゴイものが色々あったらしいけど、僕には解らない。残念なような、ホッとしているような)の山の端っこで悶々としていた。


僕に色々教えてくれてた人はある時期から、「もうこの話を聞いてくれるの、製作サイドだけだよ」とか寂しそうにしてたなぁ。
僕には何が何だかわからんくて、「そうか、スゴイな」とか阿呆んだらにも尊敬してしまったけれど。



あれ、言わなくて良かった(汗)



結局、彼は製作側には行かなくて、食べていくために国家公務員にお成りになった。


自分の好きな物に触れ続けて生きるために「国家の犬」と呼ばれる道を選んだお方。




まさにヤン・ウェンリーを地で行ったお方なんである。



世の理不尽(経済の仕組みとか、業界の都合とか?一から起こしていくならとんでもなく費用と時間と人手が要るあれやらこれやら)と、自分が食べていく社会人としての道。


彼は両方と闘いながら、両方と常に和平交渉をしていなさったのだ。


彼はずっとずぅっと闘った。
けれど、やっぱり負けてしまった。



僕に色々教えてくれた方のヤン提督は、病魔に勝てなかったのだ。


皆でお見舞いに行ったとき、彼の稼いだお金で買ったフィギュア(とプラモ。組み立て後は僕には未だに見わけを付けられない)が沢山病室のテレビに乗っかっていた(そこ以外飾るスペースが無いのだ)。看護婦さんやら軽度の子供が時々見に来る、と気恥ずかし気に(でも、多分誇らしかったと思う)話してくれた。


皆の前で意識が混濁するのは情けないから、と何日も病院やご家族とお話して、面会時間に合わせて投薬も食事も調整していらっしゃった。


「ちょっとそろそろキツクナッテきたよ」


の一言でお暇したとき、皆を玄関まで見送ってくれた。
勿論徒歩な筈はない。


ラインハルトさんの未来の副官さん。
彼女の親戚の男の子が乗っていたのと同じ物。


あれを、先輩より小っちゃなお父さんが押して、一緒に付いて来てくれた。
自分より大きくなった息子。
けれど、もう自分の足で歩く時間は残されていない息子。



お父さんは誇らしげだった。











どうしてもそちらを受け入れられなくて、でも今の僕のように「修行中です。てへっ」と言えなくて、ボランティアで滅茶苦茶キツイ水族館だか動物園だかで社会感覚を磨いていた人。


あの時代で「エクセル遣えます」って言ったら地方なんかじゃ引っ張りだこだったろうに。
ドンドンやつれてお会いするたびに、優しかった顔が厳しくなっていった。


皆で一緒に入った喫茶店。ウェイトレスさんがなかなか来なくて、つい僕が気を利かせた(つもりで)、離れた給仕台にあった水差しを取ってきた時。


「ダメじゃないか!」


と真っ青な顔で怒られた。


ボランティアとは、自ら志願するわけであって。
誰に強制されるわけでもないから、好きなことを好きなだけ関わってもよくって。


けれど。


同時に、強制されず、お給料ももらえず、怒られることもない。
そして、何をしても、しなくても、名簿や会報、ホームページなんかには平等に載っけてもらえるわけで。


先輩のような方が、そういう世界で頑張っちゃったらどうなるか。
周りの人たちは黙って、分かっていながら一緒に居たんだと思う。


僕は僕で、同僚から気の利かない奴と罵られてまくっていた頃全盛期。
久しぶりに会う人達の前だから、と気を張っていた。


「お、何だ。ちったぁ周りに目が行くようになったじゃん」


と、言われてみたかったのが…本音。


滅茶苦茶落ち込んでしまった僕に、次回の集まりの声はかからなかった。


寂しかったけれど、それしかなかった。
あの先輩に対しても。僕への配慮としても。


今だから解る。
下手に慈悲なんか起こして、あの場へ僕を招き続けていたら悲劇にしかならなかっただろう。




そして悲劇とは、当事者以外にはコメディでしかないものなんだ。




今、僕はひとりぽっちで銀英伝を観ている。


貯めていたお金を遣うことに決めたら、何だか好きなだけ観ていいことになった。


お金を一回遣うと決めたら、随分と情報が入ってくるようになった。
お金が無くなったら、この便利さも消えてなくなるわけだ。


画面で見るヤン提督は、随分と男前さんだ。


「銀河声優伝説」なんて言われた頃とは随分と違っているみたいだし。


原作の小説や、道原かつみさんの漫画では触れなかったことにも随分と熱意を持って取り組んでるんじゃないのかな。



とか思いながら、前作を薄ぼんやり思い返してみた。


例えば。あるジャンルで新しいことをしようと人を集めて計画した時。
掛けていい時間が決まっていて、あんまりお金がなくって、どの位の人が見てくれるかもわからないものを作るとき。


声(音)で勝負したんだったら、それは挑戦だったかもしれない。
残念ながら、僕には製作陣のお声が解りようがないんで、全くのあてずっぽう何だけれど。




カンカンがくがくの熱い議論を馬鹿ッ正直に何処までも阿呆んだらに、けれども何処までもくそ真面目にしていた人達。


もう一回、あそこに入れて貰うために。


僕も、日々、恥を掻きながら、書き溜める。


少なくとも、書いているとき、作っているとき。
お金を払って見てもらおうと、お金をもらえず見てもらおうと。


僕は今も、あの人達と一緒に。
あの場所に居るんだから。

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