長宗我部(長曾我部)の読み方。
皆さまこんばんは。
この過疎ップリの痛いブログを訪れて下さるもの好ki…(ゲフンゲフン)
もとい、好事家な方がいらっしゃるようで。
まぁ、こんな妙ちくりんな離れ島の、訳分らん大名(滅亡済み)の無駄話なんでお読みになったところで、毒にはならんでしょうが。
そもそもおにぎりやら桃やらを期待為さる方は居ない前提で進んどりますので。
えぇ…っと。
マジでしょうもない小話程度しか出来んのですが、それでもよろしければ。
アニキの姓。
長宗我部家の家名ですよね。
これ、読める方。
実は、戦国時代には居なかったらしいのですよ。
元々、土佐のジモティーには
「俺、ちぃっとばっか珍しい苗字なんだが、まぁよろしくな。
長宗我部っつーんだ。
お見知りおきを、とは言わねえぜ?」
とか使用武将格上げ後のノリでアピってらしたようなんですよ。
そもそも、BASARAの表記『長曾我部』はお猿な烈界武帝さん(BASARA内太閤殿下の尊称)を筆頭に土佐外部の方々が余りにもへんちくりんな苗字に衝撃を受け過ぎて、うぅっかり間違えちゃった内の、ほんの一例ですしね。
まぁ、現代でも地方の珍しい姓のお家のお子さんが都心へ出ると四月はヤッパリ大変だったりしますし。
500年前に苗字をきちんと呼んでもらえてたかどーかなんて、今更「路傍の石」なお話じゃあないでしょうか。
所詮アニキですしねw
え。
もしかして、僕のこの語り口を怒ってる方、いらっしゃいます?
そんな変態さん、まさかいないですよねぇ。
…。
そうですよねぇ。
恵比寿樽がいける方の智将様(お顔がラインハルトさんで中身が軍務尚書殿な方。田中さんワールド永遠のリスペクトすべき戦略家様。←特技=草刈り)とか
老酒くいくいやっても家臣に見放されない方のヤン提督(こちらの如水殿がモロ軍務尚書殿であったり。ぷりんけぷす!)とかの
どっちも緑でくくれるかの名将にして政治家戦略家、その名家当主三代にお仕えした家臣の方だって自叙伝に記されてるじゃあないですか。
「長曾亀」だって。
※※ 追記 ※※
この方の遺された『身自鏡』の読み方。
「みじかがみ」説と「みのかがみ」説が土佐側ではあるようです。
どちらなんでしょうねぇ。
…いあいあ、
そ~ん~な、もん!ですって!!
表記からしてこんな認識なんだから、そもそもマトモに呼んで(読んで)貰えるわけがないんです。
禁中でだって「ちやうすかめ」で何回も記されているわけですし
(女官さんですよね、仮名文字なんだから。因みにこの文書は、帝ご自身が記された部分もあるとされてます)
奈良興福寺のエライ方なんかは
「『ちやうすかめ』言うかと思うとったこの何かオモロイ名字。けど実は読み方ちゃうらしいねん」
とか日記に記してらっしゃいますし。
まぁ、そんな認知度だったらしいのですよ。
史実がどうこう以前に、
「自己紹介から始めないといけない戦国武将」なわけです。
コミュニケーションにとんでもなく高いハードルが用意されている海の領主さん。
まぁ、好き勝手書き散らされて然りでしょうねぇ。
ゲームでも賢いお友達は皆さん姓はL1+十字キー呼びだったり仇名で適当に誤魔化してらっしゃいますし。
最後に、グローバルな読み方なんぞをひとつ。
フランシスコ・カブラルさんがナイスなネタをイエズス会士日本通信に投下為さっておられます。
長宗我部=「とそがみ」(Tosogami)
(笑)
小粋なカブラルさんの華麗なる経歴に関しては、検索してみたら大変面白かろうと思います。
アニキなんかより、よっぽど愉快なアニキさんでいらっしゃいますので。
ではでは、お休みなさいませ。