始まりは爺さまの赤線引きだった。
すっかり没落しきっちゃったけど、大昔は結構イイお家だったらしい。
ど田舎で、山ん中で、川っぺりで。
自宅へ入るには、専用の小さな橋を渡らないといけない。
つまり、ちょっと庭から出入りするたんびに
「ひとりで一休さんになりきっては
『此の橋渡るべからず』
ごっこ」
を何時だって遊べたわけだ。
夏の夜。
蛍がいっぱい飛んでて、この橋の上に寝そべってずっと蛍を眺め続けた。
飛び交う蛍達は、手を伸ばしても全く無頓着。
時には僕の手の平でさえ、気紛れに休んだように記憶している。
そんな彼等彼女等、無数の煌きの更に上。
満天の天の川が何処までも何処までも。
その故郷が、無くなる。
お袋さまが持ち帰ったのは、僅かな書籍やら着物類のみ。
体調を崩して同行を控えていた僕が、どうこう言うことではなかろう。
それ以前に、あの田舎はお袋さまのものだ。
爺さま婆さまや、あのお家に残った最後の人との思い出が詰まった、あの場所は。
つらいこと、哀しいこと、理不尽なことが沢山詰まった、あの場所だから。
刀が二振りばかり、在ったという。
錆が酷くて、銘も無かったから、廃棄したそうだ。
刀剣って最近は(少し下火気味になったようだけれど)若い子に熱いアイテムだったのに。
冗談でそう言ったら、お袋さまは随分と感情的なコメントを返してきなさった。
嗚呼、やっぱり何かあったんだ。
出かける度、必ず荷物持ちとナビと買い物交渉係を仰せつかるのが僕。
お袋さまが同行を強いなかった辺りで、薄々察してはいたけれど。
僕等一家が過ごしたあのお家は、景気良く取り壊して来たそうだ。
ちょっとばかり村の土地持ち。
没落して後は近隣で小さな学校の校長先生なんかをやっていた爺さま。
顔役というか、まぁ、少なくとも現職中であったなら、村やら近場では馬鹿にされなかったんじゃないのかなあ。
何だかすんごいマニアックな、分厚い辞書だか事典だかを手がけたんだぞ、とか誰かが言ってたような全然誰からも言われてないような・・・気もするし。
今、僕の足元には空になった段ボールが転がっている。
爺さまは僕にあんまり勉強しろとは言わなかった。
でも、たまに僕が模試なんかで良い点をとった、とか聞くと
(誰だよ密告したの。たまにっての、思いっくそバレてんじゃんか!)
すっごい嬉しそうだった、とか誰かから聞かされたかもしれない。
かもしれない、だ。
だって、滅多にん~なミラクルって、無かったし。
とにかく、段ボールは空で、中身の一部は僕が手にしている。
大半は、お袋さまの思い出と共に、彼女の部屋へ納まっている。
僕に何にも言わないで、にこにこしていた爺さま。
彼が一言も口にしなかった、書籍、雑誌。数冊がそれ。
とても僅かな数だ。
いくらど田舎だって、仮にも校長先生で、何だか分厚い辞書モドキの関係者。
だったら、もーちっと、色気出してかっちょいいタイトルの古書なんか遺してたら良かったのに。
今は愛想の悪い古本屋のおっさんに嫌味言われながら、重たい本の山をひーひー引き摺ってでも山越えし、なおも頭下げて後に、ありがた~く紙屑をば引き取って頂く時代じゃあ、ない。
(値打ち物すら無神経に買い叩かれる)代わりに、表向きはあくまでも馬鹿丁寧に、お大尽のように扱ってくれる、愛想笑いの派遣さんが引き取りに、わざわざ玄関まで遣って来てくれるのだ。
ちぇ~、派遣さんに麦茶でも出しながら
「まぁまぁ、先ずは喉でも潤したまえよ。
増え過ぎた資料のやり場にどうにも困っていてねぇ・・・
本日は君が早く着いてくれたお陰で大変タイヘン助かったのだよ、ふっふふふ」
…とか、
昭和の文豪ごっこを演じてみたかったのになぁ。
いあいあ、ウソです。
そんな寒~いことは、この歳じゃあ考えませんって。
…今はね(ぼそ)。
ともかく。
彼が其処へ遺した赤線。
何も語らなかったくせに、しっかりきっちり引かれた真っ赤なサインペンの筆印。
全部、そこが始まりで、引き金だった。
僕が誰で、何処から誰と来たのか。これから一人ぽっちで何処へと向かうのか。
延々考えながら唸り続ける旅へと向かう羽目になる、長い長いみちのりの。
多分…最初の、一歩。